沖縄県内における新築着工数の30年間を振り返ってみましょう。
昨今AIを使った予測が話題となっています。
AIといっても、基本的にはデータサイエンスなので、「過去のデータから未来を予測する」ということになります。裏を返せば、データにないことは予測できないということになります。
この30年間を紐解くことで、今後の未来を予測することができるかもしれません。
図1
図1は、1988年から2016年までの、沖縄県における29年間の新築着工数の推移です。
おおむね毎年約13000~4000戸で、近年最も多かったのは1996年の約18000戸、次が2006年で逆に少なかったのは2007年と2010年で11000戸を少し下回りました。
1996年は、翌年1997年に消費税増税が決まっており、その駆け込み需要が起こったと思われます。全国的に1996年は新設住宅着工数が増えました。
バブルの崩壊1990年から一気に不動産価格は低下しますが、このころになるとその下落率は一服していました。しかしそれもつかの間、その翌年の1997年には大手金融機関や証券会社などが倒産し、「バブルの後遺症はかなり大きい」ということが露見することになります。
上辺だけの遣り繰りで乗り切ろうとしても、傷は深く、その回復への道が険しいことを多くの国民が認識することになりました。
その後本格的に日本経済がバブルの後遺症から脱皮できるのは、2005年ごろまで待たなければなりません。
1996年の沖縄県での主な出来事を調べてみると(琉球新報のサイトより)、この年の1番の大きな話題としては、「普天間基地の全面返還合意が成立した」とあります。
しかし、それから20年経った今でも普天間基地は返還されていません。
こちらも、奥が深い問題で、そう簡単に「全面返還」となりそうもない状況が続いています。
2004年ごろ(公示地価に表れるのは2005年から)から、日本の主要都市で地価が上がり始めます。
沖縄県の主要部でも、この数年は不動産市況が活況となりましたが、図1を見ると、1998年に底を打ってから2006年まで、概ね右肩上がりで住宅着工数は増えていきます。
新都心の開発、小禄エリアの開発など、1990年代の後半から2006年頃は、県内中心部の街並みが大きく変化した時でもありました。
2006年をピークとしてリーマンショックの影響が徐々に出始める2007年頃から、沖縄県の住宅着工数は減少傾向になります。
ちなみに、この2006年に普天間基地の辺野古への移転が決まります。(当時はキャンプシュワブの沿岸部と沖合と言っていました)
全国的にみても、2008年をピークに住宅着工数は減少します。
全国的な落ち込みに比べて、沖縄県の減少幅は少なく、少し早めに徐々に回復し始めました。
大きく伸びるのは現在の不動産活況が始まった2013年で、こちらは全国的な動きに沿った状況となりました。
全国では、2009年以降の住宅着工数は100万戸を超えていません。1967年以降ずっと続いていた、「どんどん住宅が建てられる」にブレーキがかかった年で、消費税増税が17年ぶりに行われる駆け込み需要がおこった2014年に98万戸を超えましたが、それが近年のピークです。
しかし、沖縄県においては、世帯数の増加が見込まれていることや中南部の基地の返還可能性があること、などを考えると、まだまだ伸びる余地があると思います。